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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第22主日

 
《A年》
 10 荒れ地のかわき果てた土のように
【解説】
 この詩編63は、150ある詩編の中で、最も親しく神に呼びかけます。一連の答唱詩編の答唱句は、この詩編の2
節から取られています。表題(1節)には、「ダヴィデの詩。ユダの荒れ野で」とあり、ダビデがサムエルから逃れてユ
ダの荒れ野にいたとき(サムエル記上19章~)に歌ったとの伝承がありますが、実際には、もっと後代の作でしょう。
 詩編唱の1節の4小節目にある「求める」の語源は「あけぼの」で、古代語の訳では、「朝早くからあなたはわたしと
ともにいる」と訳されたことから、この詩編は、『教会の祈り』の「朝の祈り」(第一主日および祝祭日などの第一唱和)
で用いられています。神から離れた生活を「水のない荒れ果てた土地」と歌う作者は、まさしくそのように神を慕い、
聖所=典礼(礼拝)の場で神と出会い、敵から救われます。6節=詩編唱の3節の3小節目、「もてなしを受けたとき
のように」は、直訳では「髄と脂肪で」だそうで、動物の髄と脂肪は、当時、最もおいしい部分と考えられていたそうで
す。今流に言えば、グルメでしょうか。
 答唱句では、旋律、伴奏ともに音階の順次進行や半音階を多く用いています。これによって、荒涼とした荒れ地の
様子が表されています。とりわけ「土のように」では、バスが最低音になり、荒れ地の悲惨さを強調します。後半は、
「かみよ」で、旋律が四度跳躍して、神を慕う信頼のこころ、神へのあこがれを強めます。なお、『混声合唱』版の修正
では、「あなたを」のバスの付点四分音符は、C(『混声合唱』版の実音ではD)となります。
 詩編唱は、ドミナント(支配音=属音)のGを中心にして唱えられます。どの節でも一番強調されることが多い、3小
節目では、最高音Cが用いられています。4小節目の最後の和音は、F(ファ)-C(ド)-G(ソ)という「雅楽的なひび
きが」が用いられていますが、バスが、答唱句の冒頭のE(ミ)への導音となり、その他は、同じ音で答唱句へとつな
がります。
【祈りの注意】
 答唱句、特に前半は、荒涼とした荒れ地の様子を順次進行や、特に半音階で表しています。レガート=滑らかに歌
いましょう。「あれちのかわきはてたつちのように」で、太字の母音「A」は喉音のように、赤字はかなり強く発音しま
す。また「あれち」は、 sf スフォルツァンド(=一瞬強くし、すぐに、弱く)します。このようにすることで、荒涼とした荒
れ地の陰惨さを、祈りに込めることが、また、この答唱句の祈りを、よりよく表現できるのではないでしょうか。前半
は、「~のように」と答唱句全体では従属文ですから、「れ」以外 p で歌います。後半は、この答唱句の主題です。
「神よ」の四度の跳躍で、p から、一気に cresc. して、神への憧れを強めます。その後は、f ないし mf のまま
終わりますが、強いながらも、神の恵み、救いで「豊かに満たされた」こころで、穏やかに終わりたいところです。
 詩編唱は、第一朗読の「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります」を
受けて、福音朗読の「わたしのために命を失う者は、それを得る」につながるでしょうか。「水のない荒れ果てた土地
のように」神のいのちをあこがれて、「聖所」=神の前で、神を仰ぎ見ます。神の「恵みはいのちにまさり」、神のいの
ちをいただくことで、「心は豊かに満たされます」。3小節目は、最高音Cになりますから、力強く歌いますが、決して、
祈りの声が乱暴にならないようにしてください。最高音で力強く歌うぶん、神を憧れ、神の恵みに信頼して、穏やかに
祈りましょう。
 今日の、イエスのことばを聞いた弟子たちの多くは、ペトロのことばに代表されるように、「とんでもないことを言う先
生だ」と考え、イエスのもとを去って行きました(ガリラヤの危機)。詩編を先唱される方は、「わたしについて来たい者
は自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という決意を、自らのこころと、詩編を味わう人のここ
ろに、導くように、この詩編を祈っていただきたいと思います。
 なお、機会のある方は、『教会の祈り』の「朝の祈り」で、この詩編を味わってみてください。
【オルガン】
 パイプオルガンでは Swell で弾かない限り、sf スフォルツァンドは表現できません。前奏も含め、どうしても表現す
るならば、SwとHw(主鍵盤)をコッペル(カプラー)します。このように弾くならば、ペダルは、最初のEs(ミ♭)から、す
べて、左足でとることになります。また、後半の f ないし mf も、同様です。もっとも、そこまでオルガンの伴奏もする
必要があるかどうかもありますが。
 ストップは、基本的にフルート系の8’ないし、8’+4’にしましょう。Swに4’を入れると、詩編先唱者が、一人で歌
うときに4’が入ることになるので、気をつけてください。
 このような、技巧的なことまでできるにこしたことはありませんが、一番大切なことは、会衆の祈りを支えること、レ
ガートでしっかりと伴奏することです。会衆の祈りがしっかりしてさえいれば、オルガンが無理に、技巧的なことにこだ
わることはないと思います。オルガン奉仕は、オルガンの独奏が目的ではなく、会衆の祈りを支えることが目的だと
いうことを、忘れてはならないのです。

《B年》
 101 しあわせな人(2)
【解説】
 詩編15は神殿の中での典礼を背景にした教訓的な詩編の一つ(他に、24,134)で、巡礼者が神殿に入るときに
儀式が土台になっていると思われます。1節は巡礼者の問い、2節目以降が、おそらく、祭司あるいはレビ人の答え
と思われます。神に受け入れられるためには、悪を行わない(掟を守る)だけではなく、隣人のことを大切にすることも
必要で、キリストが教えた新約における愛の掟の序曲ともいえる詩編です。
 答唱句は八分の六拍子で滑らかに歌われます。2小節目は4の和音から、後半、2の7の和音に変わりますが、こ
れによって祈りを次の小節へと続けさせる意識を高めます。続く「かみを」では旋律で最高音C(ド)と4の和音を用
い、次の「おそーれ」ではバスに最高音H(シ)が使われ、「神をおそれ」では、旋律が6度下降して(それによって母
音の重複も防がれています)、前半の主題を強調しています。7小節目後半の3つの八分音符の連続は、最終小節
に向かって上行音階進行しており、終止の rit. を効果的に導いています。
 この答唱句は、C-dur(ハ長調)の主和音ではなく、五の和音で終わっています。これによって、祈りを詩編唱につ
なげる役割もありますが、この曲はいわゆる長調ではなく、教会旋法に近い形で書かれていることがわかります。G
(ソ)を終止音とする教会旋法は第8旋法ですが、その音階は、D(レ)からd(レ)なので、この曲には該当しません。
他にも、36~40「神のいつくしみを」、130~135「主をたたえよう」などがこれにあたります。これらから考えると、
この旋法は、教会旋法を基礎に作曲者が独自の手法とした旋法であり、「高田の教会旋法」と名づけることが出来る
でしょう。
 詩編唱も、答唱句と同様の和音構成・進行ですが、3小節目だけ、冒頭の和音は答唱句で経過的に使われている
2の7の和音となっていて、3小節目の詩編唱を特に意識させるものとしています。

【祈りの注意】
 答唱句で特に注意したいことは、「だらだらと歌わないこと」です。だらだらと歌うとこの答唱句のことばがまったく生
かされなくなってしまいます。そのためにはいくつかの注意があります。

1= 八分の六拍子は、八分音符を一拍ではなく、付点四分音符を一拍として数えること。
2=先へ先へと流れるように歌うこと。
3=「しあわせなひと」の「わ」をやや早めに歌い、次の太字の三つのことばの八分音符で加速をつけるようにする
こと。

の三点です。
 また2.については、1・3・5・7各小節の前のアウフタクトのアルシスを十分に生かすことも忘れてはならないでしょ
う。このようにすることで、祈りが自然に流れ出てゆき、答唱句のことば「主の道を歩む」「しあわせ」が、豊かに表現
できるのです。
 前半の終わり「おそれ」では、やや、わからない程度に rit.するとよいかもしれません。答唱句の終わりは、歩みが
確固としたものとして、ただし、主の前を静々と歩むように、十分に rit. して、滑らかに終えましょう。 
 詩編は、まさに第一朗読と福音朗読の橋渡しです。神の掟と戒めは、人間をがんじがらめに縛るのではなく、神が
本来与えてくださった、神の子の自由に生きるためのものです。以前、教会法担当の神父さんがおっしゃったことばを
引用すれば「教会には愛の掟があれば、他の法はなくてもよい」のです。現代のわたしたちも「昔の人の言い伝え」
に縛られ「神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守」っていることが少なくないかもしれません。それ以上に、大切
なことは、掟を守っていれば安心、と言うのではなく、どのように「御言葉を受け入れ、御言葉を行うか」ではないでし
ょうか。この詩編を味わいながら、もう一度、わたしたちの生活、心の目を見つめなおしてみたいものです。
 最後に、いつも書いていることですが、字間のあいているところで、間を置いたり、延ばしたりすることは絶対しては
いけないことです。1小節が滑らかに歌われ、祈られるようにしてください。
【オルガン】
 前奏のときに気をつけなければならないことは、祈りの注意で書いた注意点です。まず、前奏のときにこれがきちん
と提示されないと、会衆の祈りは、活気のない、だらだらしたものになってしまいます。前奏の冒頭から、きびきびと、
弾き始めましょう。もう一つ大切なことは、オルガニスト自身が、ここで歌われている「しあわせな人」になっていなけ
れば、よい前奏、よい伴奏はできないのかもしれません。ストップは、フルート系のストップ、8’+4’で、明るい音色
のものを用いるとよいでしょう。最後の答唱句は、うるさくならなければ、弱いプリンチパル系のものを入れてもよいか
もしれません。

《C年》
 34 神に向かって
【解説】
 詩編68は、美しい表現に満ちています。全詩編のうちでも、内容が難解なことから、さまざまな解釈がされます
が、契約の箱を中心として、契約の箱とともにイスラエルを導かれた神の救いとシナイへの入国を歌っています。ま
た、8-9、12-15節は、デボラの歌(士師記5:2-31)の影響を受けていると考えられています。ぜひ、一度、士
師記のデボラの歌も読んでみたいところです。
 詩編95から取られている答唱句は、冒頭、旋律が「神に向かって」で和音構成音、「喜び歌い」が音階の順次進行
で上行して、最高音C(ド)に至り、神に向かって喜び歌うこころを盛り上げます。また、テノールも「神に向かって」
が、和音構成音でやはり、最高音C(ド)にまで上がり、中間音でも、ことばを支えています。前半の最後は、6度の
和音で終止して、後半へと続く緊張感も保たれています。後半は、前半とは反対に旋律は下降し、感謝の歌をささげ
るわたしたちの謙虚な姿勢を表しています。「感謝の」では短い間(八分音符ごと)に転調し、特に、「感謝」では、い
ったん、ドッペルドミナント(五の五)=fis(ファ♯)から属調のG-Durへと転調して、このことばを強調しています。後半
の、バスの反行を含めた、音階の順次進行と、その後の、G(ソ)のオクターヴの跳躍は、後半の呼びかけを深めてい
ます。
 詩編唱は属音G(ソ)から始まり、同じ音で終わります。2小節目に4度の跳躍がある以外、音階進行で歌われます
から、歌いやすさも考慮されています。また、4小節目の最後の和音は、答唱句の和音と同じ主和音で、旋律(ソプラ
ノ)とバスが、いずれも3度下降して、答唱句へと続いています。
【祈りの注意】
 答唱句は、先にも書いたように、前半、最高音のC(ド)に旋律が高まります。こころから「神に向かって喜び歌う」よ
うに、気持ちを盛り上げ、この最高音C(ド)に向かって cresc. してゆきますが、決して乱暴にならないようにしましょ
う。また、ここでいったん六の和音での終止となりますし、文脈上も句点「、」があるので、少し rit. しましょう。ただし、最後と
比べてやり過ぎないように。後半は、テンポを戻し、「うたを」くらいから、徐々に rit. をはじめ、落ち着いて終わるよう
にします。
 答唱句、全体の気持ちとしては、全世界の人々に、このことばを、呼びかけるようにしたいところです。とは言え、が
さつな呼びかけではなく、こころの底から静かに穏やかに、砂漠の風紋が少しづつ動くような呼びかけになればすば
らしいと思います。
 第一朗読でも福音朗読でも語られる重要なテーマは「神の前にへりくだること」です。お金、名誉、地位などを持つ
と、人間は、ついつい、それらを自分の力だけで手に入れたと思い、高ぶってしまうものです。それゆえ、人間は「偉く
なればなるほど、自らへりくだる」(神の前に)ことが大切なのです。なぜなら、お金、名誉、地位により頼み、神に信
頼することを忘れてしまうからです。ですが、もともと、人間はその存在自体、自ら自由に決定することができるので
はありません。その、存在の最初から最後まで、神のみ手にゆだねられているのですから。
 【オルガン】
 答唱句は基本的なフルート系のストップ8’+4’でよいでしょうが、答唱句の性格上、明るめの音色がよいでしょう。
人数が多い場合は、2’を加えることもできるでしょう。前奏のときに、最初の「神に向かって」がだらだらとしないよう
にしましょう。オルガンの前奏が活き活きとしていれば、会衆も活き活きとするはずです。後半では、「喜び歌い」と「さ
さげよう」のそれぞれの rit. の違いがきちんとできればいうことはありません。最初、会衆全体がその通りにできな
かったとしても、オルガンが辛抱強く rit. を続けてゆけば、会衆も、だんだんと、祈りが深まるような rit. ができるよ
うになると思います。オルガン奉仕者が、いつも、この答唱句と詩編、そして何よりも、キリストの謙遜を生きること
が、最も大切な祈りとなることを忘れないようにしたいものです。




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